町田瑠唯が、3年ぶりに日本代表に戻ってきた。前回、東京オリンピックでは、準決勝のフランス戦で大会最多記録の18アシストをあげたほか、大会最多の1試合平均12.5アシストで、ポイントガードとして日本代表を銀メダルに導いた。その活躍ぶりに、世界中に名前が知られるようになった。
それからの3年間は、町田にとって、色々な面で濃密な月日だった。オリンピックの次の夏にはWNBAワシントン・ミスティックスに加入し、プレイオフを含めて38試合に出場した。今年4月には富士通レッドウェーブをWリーグ優勝に導いた。初めてのことを経験し、大きなことを達成した一方で、代表の活動期間にはコンディション不足や故障が続き、22年秋のワールドカップにも、今年2月の世界最終予選にもメンバー入りできなかった。
そんな濃密な3年を過ごし、何か自分に変化はあるかと聞くと、町田は真っ先に代表への思いを口にした。
「代表を頑張ろうって思った時期に怪我が続いたので、パリに向けての思いは強くなりました。あと、WNBAに行ったことで、アメリカに対して、『アメリカ代表だ!』と(圧倒されるような)感覚はなくなっているのかなって思います」
東京オリンピックでは銀メダルを獲得する快挙を成し遂げ、嬉しい気持ちもある一方で、決勝でアメリカに敗れた悔しさは今も消えていない。本気でアメリカに勝ちたい、優勝したいと思っていたからこそ、「決勝の悔しい思いはずっとある」と明かす。
東京オリンピック後に、ヘッドコーチがトム・ホーバスから恩塚亨に代わり、システムが新しくなった。自分自身も常に目の前の課題を乗り越えようとし、成長してきた。恩塚のもとでの代表入りは初めてなだけに、今は遅れを取り戻そうと必死だが、それがパリでどれだけ通用するのか、楽しみな気持ちもある。
「(パリ五輪でアメリカに)どう分析されてアジャストされて守られるかっていうのはやってみないとわかんないんですけど、でもトムさん(東京五輪ヘッドコーチ、トム・ホーバス)のバスケットと恩塚さん(パリ五輪ヘッドコーチ、恩塚亨)のバスケットでまた違う。恩塚さんのバスケットでやってみて、どういうふうに相手が守ってくるかでアジャストしないといけない。そこは試合やりながらやっていくしかないのかなと思います」
そのアメリカとは、予選グループでは東京オリンピックに通いて、また同グループに入り、大会初戦で対戦する。
「どっちみち、こっちはチャレンジャー。自分が出たときに思い切りプレーでぶつけるってことは変わらないんですけれど、でも、アメリカ代表だから(かなわない)っていう感覚はなくなったのかなって思います」
いつでも自然体。苦しかったときや大変だったときについて語るときも、笑顔がこぼれる。あまり表には出さないが、内に秘める思いや、負けず嫌いな面もある。子供のころから大きなチャレンジに挑むことが好きで、ミスティックスからのオファーを受けたときには、即座に「やってみたい」と思ったという。
WNBAでの4ヵ月は、決して思うようなプレーができたと言える日々ではなかったが、それでも、新しい世界に飛び込み、チームメイトたちと充実した日々を過ごしたことはいい思い出だ。今も、「チャンスがあれば、また行きたい」と語る。
「前回は1年目で、WNBAの流れとかリズムをつかむのに必死だった。2回目になれば流れもわかるし、気にしなきゃいけない部分がなくなると思うんで、そうなったらもうちょっと自分のプレーにフォーカスしてできるんじゃないかなっていうのは思う。そういうのも含めて、もう一回行きたいっていう気持ちがあります」
東京のときのように、パリ五輪で活躍すれば、またWNBAチームから声がかかる可能性は高くなる。そう言うと、町田は、パリをWNBAへのステップとしては考えていないとやんわりと否定した。
「そういう、WNBAにアピールしたいという気持より、このチームで金メダルを取りたいっていう気持のほうが強い。自分の数字がどうこうとかは全然関係なくて、自分ができることをしっかりやって、チームに貢献したい。それが結果としてWNBAに繋がればいいですけれど、WNBAのために何かをやりたいっていう気持ちはあまりないです」
内に秘めた熱い思いと、冷静な判断。コート上でもオフコートでも、その両輪が、町田を支えている。
(文・宮地陽子)