去年9月、沖縄で行われたFIBAワールドカップで日本がパリ五輪出場を決めたカーボベルデ戦後、会場に流れ、ファンが熱唱した歌があった。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』の主題歌、10-FEETの『第ゼロ感』だ。『SLAM DUNK』の作者で、映画の監督も務めた井上雄彦は、会場でその光景を満面笑顔で眺めていた。そのときを振り返り、「あれは祝祭感に満ちていましたね」と言う。
井上にとっても、会場を埋めていたファンにとっても、日本代表が自力でオリンピックに出場することは長年の夢だったのだから、まさにお祝いだった。その場に流れるのに、これほどふさわしい曲はなかった。
実は井上は、当初、ワールドカップのグループラウンド3試合だけを現地で観戦する予定だった。実際、3試合が終わった後にいったん東京に戻ったのだが、日本代表のことが気になって仕事が手につかず、すぐにまた沖縄に戻った。「結局、(日本代表の)5試合とも現地で見ました」と明かす。
沖縄に戻ったからこそ、日本代表がパリ五輪出場権を勝ち取った瞬間を見ることができ、盛り上がった会場を体感することができた。
「試合開始前から会場の1番上までJPNの赤一色で埋め尽くされているのを見て感激しました。沖縄の観客の方達は観戦慣れしているというか、盛り上がりどころがバスケをよく知っている感じで、bjリーグに始まりBリーグの現在まで琉球ゴールデンキングスが作ってきた文化と歴史を感じました」と、バスケットボール文化を築き上げてきた人たちに感謝した。
井上は1992年に発売された『SLAM DUNK』の単行本第9巻に「次は日本チームの五輪出場が見たい。『スラムダンクを読んでバスケを始めました』という子供たちが、大きくなってやってくれたら……オレは泣くぞ」とのコメントを書いている。当時、『SLAM DUNK』やマイケル・ジョーダンの人気で、日本国内でもバスケットボールは盛り上がっていたが、まだ代表にはオリンピックに出られる実力はなかった。
あれから30年以上たち、映画が公開されていたタイミングで、日本は自力でオリンピックの出場権をつかんだ。それは、まるで『SLAM DUNK』に育まれた日本のバスケットボール文化が、時間をかけて成長して花開いたかのようだった。
実際、今の日本代表でも『SLAM DUNK』を読んで育ってきた選手は多い。たとえば渡邊雄太は、子供の頃から『SLAM DUNK』を何度も読み返して、セリフも暗記したほどだったというし、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とか「負けたことがあるというのが、いつか大きな財産になる」など、作中に出てくるセリフは、多くの選手にとって戦うときのメンタリティとして身体にしみ込んでいる。
それは、7月30日のフランスとの試合でも体現されていた。FIBAランキング9位(日本は26位)で開催国、平均身長が日本より6cm高いフランスを相手に挑み続けた。第4Qに、そこまで24得点をあげていた八村塁がこの試合2つ目のアンスポーツマンライクファウルを取られて退場になっても、第4Q最後の4点リードを同点に追いつかれた後も、最後まであきらめずに戦う姿勢は間違いなく、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」の精神だった。
勝てた試合を落とした後も、河村勇輝が「次のブラジル戦ではこのフランス戦での経験を糧にして必ずベスト8という目標を達成したいと思います」と言ったように、選手全員が、前を向き、目標達成に向けてあきらめない姿勢を見せていた。
オリンピック前に馬場雄大は、『SLAM DUNK』は日本バスケットボール界をつなぐシンボル的な存在だと語っていた。 「それこそ『SLAM DUNK』っていう漫画がなかったら、ここまで日本にバスケットボールは広がっていなかったと思う。日本代表が勝てないなかでも作品を描いて、夢を見てくださって、(そのおかげで)自分たちが少しずつ結果を残してきたというところはあると思う」と馬場。「だから、代表選手全員が、井上さんのために頑張りたいっていう気持ちを持っていると思います」
フランス戦後、井上はXにこう投稿している。
「素晴らしい試合でした。
我らの日本代表が誇らしい。勝利に値したことを世界中の人が見ていた。8強への挑戦は続いていく。
フランスもさすがでした。おめでとう。
#AkatsukiJapan」
井上が応援するのは男子日本代表だけではない。パリ五輪で戦う男女日本代表に向けて、井上は次のような激励のメッセージを寄せてくれた。
「日本代表の選手、コーチ、スタッフ、今このメンバーでしかできないことがあると思います。チームが一つになって、それが成し遂げられることを祈ります」
(文・宮地陽子)